須我神社

須我神社

出雲国神仏霊場第16番  和歌発祥の地
古事記(和銅5年、西暦712年)によると、肥河上(現斐伊川)でヤマタノオロチを退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、自分の住居となる宮を求めてこの出雲国須賀においでになりました。
「吾此地に来まして、我が心須賀須賀し」
とおっしゃったので、この地は須我といわれるようになりました。そして宮殿が出来上がった時に、美しい雲が立ち上るのをご覧になって
「夜久毛多都(やくもたつ)伊豆毛(いずも)夜弊賀伎(やえがき)
都麻碁微爾(つまごみに)夜弊賀伎都九流(やえがきつくる)
曽能夜弊賀伎夜弊賀伎(そのやえがきを)」

(八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣つくる その八重垣を)
と御歌を御詠みになりました。

 古事記、日本書紀に書かれる日本初之宮がここ、須我神社です。そして、31文字和歌発祥の地、さらにはこの御歌の出雲が出雲の国名の紀元でもありますここには、須佐之男命とその妻、奇稲田比売命(くしいなだひめのみこと)、その御子神である清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)が奉られています。
またこの須我神社の後方、須我山(御室山、八雲山)の山懐に大きな夫婦岩があります。そこは須我神社奥宮(磐座=いわくら)として祭祀信仰されています。そこは、霊感(?)のない方でも、感じるものがありすがすがしい気持ちになれると、地元のひとの信仰のよりどころのひとつになっています。時間があればぜひ訪れていただきたいところです。



日本初之宮の碑

 



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